Vol.106-1
平成20年2月号
 

『等身大でいい、と割り切る。』

人からよく思われたい」「高い評価をしてもらいたい」という思いを、わたしはずっと無意識の中に持っていました。そして、それはわたし自身のみならず、わたしの家族や仲間についても同様に、周りの人からよく評価されたい、という気持ちを持っていました。これは、わたしが完璧主義であるが故のことでしょう。しかし、最近になって少しだけ「まぁ、いいか~」と思えるようになってきました。

たとえば、お世話になっている人のところに社員や仲間と挨拶に伺い、食事をごちそうになったとき。今までのわたしは、「目上の人に失礼があってはいけない」と自分はもちろん、常に仲間の言動にも気を配り、正直心ここにあらず、というような面がありました。
身内がどう感じているか、居心地悪いことはないかには目を向けず、目の前の相手がこちらをどう感じているか、ばかり気にしていたのです。それは、わたしの中で「成長のためのストレッチ」と「無理強(じ)い」の境目を見極めるのがむずかしかったからだと思うのです。

これでは、わたしも仲間もリラックスしてその場を楽しむことはできません。きっと彼らは、和仁の顔に泥を塗ってはいけない、という緊張した空気を感じ取ります。あるとき、「これはバランスがおかしい。せっかくその場に同席してくれた仲間が、わたしの犠牲になっているのではないか?」
そう気づきました。それ以来、わたしが心掛けたいと思っていることがあります。

それは、「等身大でいい」ということ。

以前は、「自然体でありたい」と思っていました。でも、自然体って、言葉で言うほど簡単じゃない。「自然体=あるがままの自分を出す」だとすると、よっぽど自分に自信がなけりゃ、できません。でも「等身大」なら無理しなくていいと自分に許可を与えやすくなります。
必要以上に相手にとっての自分への期待を高めてしまうと、それに応えよう、応えなくてはと自分を追い詰められて、息苦しくなります。「等身大でいいじゃないか」そう思うと、変な気負いもなくなり、肩の荷もいくぶん降ろせる感じがします。そうやってハードルをいったん下げた上で、無理なくやれることを増やしていけたらと今は思っています。