Vol.104-1
平成19年12月号
 

『休暇への罪悪感の解消法』

働き者で、根がマジメであるために、ときに無理をしすぎて体を壊したり、精神的に参ってしまう人は、周りにいませんか?わたしの周りにはそういうイケイケの方が多く、先月は何人もそういうケースを目の当たりにしました。そういう人は、結果的に病気で倒れたり、生活はできたとしても仕事に集中できなかったりしています。

「病気で3日間も仕事を休むハメになるぐらいなら、前もって休暇をとってカラダを休ませておけば、もっとその3日間を有意義に使えただろうに」
と言う人もいます。もっともな話ではありますが、当人にとってみれば、このアドバイスはナンセンス。なぜなら当人は「この程度はまだ耐えられる範疇だ」「ここで休んでいる場合じゃない」と信じている上に、休むきっかけがつかめないからです。過去にもっと大変な状況にも耐えられた経験があったりすると、なおさら頑張ってしまいます。何を隠そう、わたし自身、休みを取ることに対して大きな抵抗感を抱いていた張本人でした。
そんなわたしも今では休むことへのある種の「罪悪感」から解放され、積極的に休みを取り、緩急おりまぜた快適なライフペースをつかめるようになりました。

イケイケの人にとっての、休暇への罪悪感の解消法、それは、休暇に積極的な意味を見出すことです。根がマジメで休めない人は「休暇=さぼり」「休暇は時間が空いたらとるもの」と無意識に認識しています。わたしは今ではこれを逆転させて、「休暇=アウトプットに備えてインプットする時間」「休暇はご褒美として予め確保するもの」と決めています。

例えば「来週の月曜日は丸1日、誰にも会わずに自分のためだけに時間を使おう」と決めると、映画にアロママッサージ、読書、カフェで漫画を読み倒すなど、時間があったらやりたいことはいくらでもあります。そして、実際に休暇をとれたらスケジュール帳に「休暇」マークを書き込み、月末にその数を数えます。日頃、ハードに働いているからこそ、ココロにもカラダにも、遊びが必要。それを注入するときが休暇です。今では「休暇」マークが多い月末は「自分にちゃんとご褒美をあげた1か月だったなあ」とうれしくなります。
時間のスパンを3年、10年と長く引き伸ばして今の状況を眺めてみると、そんなに焦る必要はないことに気づくかも知れません。